僕の物語を再開“ピカピカの夢を探し求めて“3!!
どうも〜!!
こんばんは〜〜😄
この物語を語ってる最中ですが、いま勤めている仕事がもうすぐ1年になります。
1年前って振り返ると時間があっという間な気がします∑(゚Д゚)
ということで、物語の第三弾を語っていこうと思います。
お手柔らかに読んでください。よろしくお願いします(°_°)
僕は過去にいろいろな経験がありますが、それはほとんど精神疾患によるものです。
前に、仕事をすぐやめてしまうことをここで話しましたが
それは何度も同じことを繰り返してしまうんです。
その頃はさすがに親も心配して県立の精神科に通うことになりました。
最初は通うのも辛かったんです。
これは自分のプライドが邪魔しているんだと思いますが
「今まで俺はふつうに生きてきたのに、ここに通うことになんて…」って心境でした。
今は、精神科に通う手立てしかありませんでした。精神科以外にも、職場で安定するところ
を目指して就職訓練所に相談したこともありました。
まさにうつ状態だったため、なにもかもどうにでもなれ。
自分の人生なんか消えてしまえ。というぐらいでした。
という絶望的状況。
世間という厳しさ、崖っぷちに立たされていた。自分。
診察時間なんて、毎回5分間。。。
こんなんで通う意味なんてあるのか?って思う。
ただ、精神安定剤の処方せんをもらうことだけでした。
通うたびに母には報告をしていました。医者言った発言などを聞いても納得する
表情ではなかった。
自分が知らないとこで。精神科に電話をしたそうです。
母と医者とのやりとりで、僕は「発達障害」の診断を受けました。
母からは、「私が死んだ後も考えて、お守り代わりに障害者手帳を受け取って」
と言われました。
この時は、正直心に響かなかった。そして何よりその言葉の意味がわからなかった。
どうして受け取らないといけないんだと、感情的になっていました。
今でも自分の悪い癖であり、欠点です、、、(⌒-⌒; )
それから数日後、、
手帳を受け取るため、IQなどを診断と審査をしに行きました。
まだ、罪悪感と自分のプライドが邪魔していました。
無事、審査が通り手帳を受け取ることができることになりました。
手帳を手続きが時間かかるため、後日区役所に行き取りに行くことになりました。
それからまた数日後のこと
区役所から電話があり、受け取りに行きました。
ここで、一つ感動がありました。
さきほど母が言っていた言葉の意味がわかったんです。
いざ、手帳を手に取った時に不思議と涙が出てきたんです。
本当ドラマの感覚です。「俺は楽に生きていいんだ。泣こんな楽に生きていいんですか?」
と区役所の方にも思わず言ってしまいましたが、区役所の方も「それでいいんだよ。」って
言ってくれて、区役所の方の口を通して神様が言ってくれたのかなー!とか考えてました、、、笑
自分がどれだけ、自分で自分を苦しめてきて、、、自分を好きになれなかった、そして心を大切に
できなかったのか?と気づけました。
これをきっかけに日々ほんの少しずつですが、自分を好きになってきてると思います。
また、第4弾で語らせていただきますが。自分を好きになれるようにまたまた思えるように
なったのは、今の職場でもあります。
第2弾の続きになりますが!
また次回の投稿をお楽しみに。